『無職ソラリスの日常』※移行したためゼロからスタート

宇宙一のダメ人間を見て安心してもらうための日記。

私より『不真面目』な人間はいないので、読者に安心してもらうためのエッセイを書いてみた。

 

私が不真面目なのは、どうしてだろう。

 

時折、思うことがある。私は誰よりも不真面目だ。なぜ会う人会う人が、私を総じて『真面目』と評価するのか、理解に苦しんでいる。

彼らは『真面目』という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。さして深く考えたことはないだろう。それなのに、皆私をさして真面目という。

 

だから私は、真面目とは何かについて、考えてみようと思う。

 

1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

上記の意味は、goo辞書から引用した『真面目』の意味である。これだけみると、真面目という言葉は、素晴らしい言葉のように思える。けれど私は、真面目という言葉をあまり良い意味で言われたことがないのである。

 

直接面と向かって、人が私に言う「真面目」という言葉は、大抵「不器用」「堅物」「ノリが悪い」「絡みずらい」「頑固」「変なこだわりがある」といった意味が込められていたように思う。

 

特に「ノリが悪い」「絡みずらい」に関しては、本当にその通りだと思う。誰かが冗談を言っても私は碌な反応ができず愛想笑いもできないので、「この子には冗談が通じない」と思われる。

 

いつも、正しい正解を教えてほしいのに、正解を誰も教えてくれないのだ。

無理に笑おうとしても顔が引きつるし、

「ほら、○○さん困ってるじゃん(笑)」

なんて言われたことが多々ある。

 

このセリフを聞くたびに、私は困っているんじゃなくて、どう反応すればよいかわからなくて固まっているだけだと脳内で叫んでいるが、誰も理解してくれない虚しさがあった。

現に、困っているわけではあるが、私は誰かに冗談を言われたらサラッと対応できるスマートな人間に憧れていたし、誰かと普通に冗談を言い合える仲になりたいと昔から思っていた。

 

けれどそれを諦めたのは、いつからだったろうか

 

私は、ともかくイベントごとが苦手なのだ。体育祭、文化祭、修学旅行、合宿、合唱コンクールなどなど。

学生時代はイベントごとが近づくたびに憂鬱になり、そういうものを楽しめる人に憧れていた。ただ、友達作りさえ上手にできなかったあの頃の私に、一緒に楽しめる誰かがいないと成り立たないイベントを、楽しめというほうが無理だったのかもしれない。

 

あまりに会話がうまくできず、三人以上集まると途端に黙りこくっていた中学時代。

部活が辛くて部活仲間のノリも理解できなくて固まっていた高校時代。

サークルの合宿が年四回もあるのが辛すぎて練習も行きたくなくなり一年で辞めた大学時代。

 

つまり、私には碌に青春を謳歌した試しがなかったこともあり、寧ろ私が「真面目」と言われ続けていることですら、コンプレックスの一部となっているのだ。

 

ここで、現在の私の状況を振り返ってみると、いかに私が不真面目かがわかると思う。

 

現無職。会社が嫌になりコロナ禍のなか3月末に辞めて以来、無職生活を約二か月謳歌し、その間資格勉強をしつつ家事手伝いをして日々を過ごす。
家族は誰も咎めないし、「コロナなんだからもう少しゆっくりすれば?」ぐらいに言われていた。
しかし、転職活動を始めてみると、思った以上に仕事がなく、ブランクについてもエージェントより不利になると指摘を受けて落ち込む。
二か月ほどコロナ自粛生活をしていた能天気な自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいる最中である。

 

ちなみに、私は落ち込みはしたものの、過去は変えられないし、現在は二か月も休めてラッキーだったなと思っている。あまり反省はしていない。

第一、日本企業に所属して二か月も休めることなんてないわけで、病気にでもならない限り休職もできない。

 

私はこの空白の二か月のせいで碌な求人にありつけないにしても、我が家には発達障害の兄弟もいるし、あまりできないことに関して咎める人はいないのだ。

 

できないなら仕方がない、というスタンスであるし、怖い親も兄弟も親戚もいない。

私が無職になることにためらいがなかったのは、そういう実家に守られていたからで、現に数年無職の兄弟もいるのだから、私がちょっとくらい休んでも別にいいや精神なのだ。

 

ちなみに、私は

「私も発達障害かもしれないよ」

と言っても、誰も取り合ってくれないし、私まで障害があったら母の心労も増えるだろうと思うから、多分私は精神科には行かないだろうと思う。

 

私自身も、多分違うだろうとは思いつつも、少なくともHSPである可能性は非常に高い。

他人よりも繊細な気質なのがHSPの特徴らしいが、HSPは生まれ持った気質であり病気ではないので、治療の方法はないようである。​

 

 

こちらのhana(ヨシザワ ハナ)様のnoteが大変分かりやすかったので、引用させていただく。

 

こちらに、HSP診断チェックシートというものがあった。私は残念ながらほとんどすべて当てはまったし、寧ろこれは日本人の特徴をあげたシートではないのか?と疑うレベルだったので、私にとってはほぼすべて当てはまるのは当然のことと思えるくらいだ。

 

できれば読者の皆さんにもやってほしいくらいだし、すべて当てはまるのが当たり前でないことに私は驚いている。

 

じつは五人に一人はHSPと言われているらしいが、私はほぼ全員HSPではないかと疑ってしまう。日本人は神経質だったりマメだったりする人が多い気がするし、元来、全員真面目気質ではないのかと思うからだ。

 

現に、「過労死」という言葉は日本で生まれている。

 

他国でこれほど仕事に苦しみながら自分の首を絞め続けている国は他にあるのだろうか?と思う。twitterでは仕事に対する愚痴を見かけないことはないし、皆嫌々仕事をしているのに、自分を叱咤して続けている。

 

それが偉いという風潮は、不真面目な私には、なんとも生きづらくて仕方がない

三年以内離職率が約三割ときいても、寧ろ七割の人が続けられることに驚いているのだから。

 

新卒の頃も、私は三年以上仕事を続けられるかどうか懸念していたが、やはり無理だったので、私の勘は当たっていた。

 

ここまで書けば、もう私を『真面目』と思う人はいないだろう。

 

寧ろ軽蔑されたかもしれない。

でも、それでもいいのだ。私は実家に頼らず生計を立てるつもりではあるし、非正規でも派遣は時給が結構高いので全然ありだと思っている。

 

年金は払えと言われているので仕方なく払っているものの、この世にいないかもしれないのに、払う意味ってあるのだろうかと思ってしまう今日この頃である←

 

※私は基本、健康診断とかは別にいらないと思っているし、むしろ病気になったらやっとお迎えが来たかと思うし、認知症になったら迷惑かけるだろうから死を選びそうな人間なので、クズと言われても仕方がないのだ。

 

 

では、ありがとうございました。こんなダメ人間ですが、こいつよりマシだと思って生きてもらうために日々書いています。

 

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