テーマをCocoonに変更の際、『このサイトで重大なエラーが発生しました』と出た時の対処法
もともと私は、『Lightning』という無料テーマを使い、10記事程度すでに載せていましたが、『Cocoon』の方が目次や吹き出し機能が使いやすかったので、こちらに変更することにしました。
しかし、エラーになるポイントが2か所もあり、Cocoonのインストールには成功したものの、『有効化』すると↓画像のようなエラーが……
このエラー画面は、テーマを実際のHPに適用する前に、「ライブプレビュー」というボタンを押して出た画面です。
「有効化」ボタンを押すと、すぐに実際のHPにテーマが適用されてしまうので要注意です!
私はいきなり『有効化』を押して一瞬ホームページがエラーになって大分焦りました……テーマを「Lightning」に戻したら無事でしたが。
また、事前にバックアップを取らないと、万が一テーマを戻してもホームページが元に戻らなかったら大変なので、毎回レイアウトに手を加える際は事前にバックアップを取るようにしましょう。
Cocoonのテーマをインストールする際にエラーが出た場合
「Cocoon」はこちらのサイトから、インストールする必要があります。その際、このサイトをしっかり読んで行えば可能ですが、私がハマった落とし穴は2つありました。
https://wp-cocoon.com/downloads/
辿ったリンクは期限が切れています。もう一度お試しください
①アップロードしたファイルは php.ini で定義された upload_max_filesize を超過しています
②辿ったリンクは期限が切れています。もう一度お試しください
https://wp-cocoon.com/downloads/
まず、インストールしようとしたら、このようなエラーが出ました。私は②の辿ったリンクが~~というエラーでしたが、このDLサイトにある、『Cocoon低サイズ版(要自動アップロード)』の方をインストールすればOKです!
※インストールする際、ZIPファイルの状態のままでないとテーマとしてアップロードできないのでご注意ください。私は間違えてZIPファイルを開いてからアップしようとして失敗したので……
Cocoonを『有効化』してエラーが出た場合
このサイトで重大なエラーが発生しました
しかし、Cocoonの親テーマである、Cocoon(低サイズ版)をアップロードした後、
この低サイズ版の親テーマを『更新』して、最新版にアップデートする必要があります!下記リンクに方法が載っています。
https://wp-cocoon.com/automatic-update/
もしこの時点で、『更新』ページにインストールしたCocoon親テーマが表示されなかった場合、子テーマも先にDLして、その子テーマを『有効化』してから、『更新』ページを見ると表示されるはずです。
表示されたら、親テーマである『Cocoon低サイズ版』を『更新』します。
とにかく低サイズ版を子テーマに合わせてアップデートすればOKです!!
子テーマを一度有効化すると、一旦ホームページの表示がエラーになりますが、親テーマ(低サイズ版)を『更新』してバージョンを合わせれば通常通り表示されます。
個人的には、ダウンロードページを見ながらやった際に、きちんと読まなかったせいで落とし穴に引っかかりました。
とはいえ、初めてテーマ変更する際は、初心者の場合時間がかかっても仕方がないと思います。
Cocoonに変えたい場合、ダウンロードページさえ見ながらやれば、初心者でも変更できるはずなので、もし同じエラーに苦しめられた方は、ダウンロードページをよく読みましょう。
私はCocoonに変更するだけでも苦労しましたが、変更したおかげでだいぶホームページの更新をしやすくなり、装飾や広告の設定も簡単にできるようになりました。
皆さんも、ぜひ初心者の方はCocoonを使ってみて下さい。
それでは、もし分からないことがありましたら、いつでもコメントお待ちしております!
横浜のバラ園おすすめコース(港の見える丘公園~山下公園)
横浜の薔薇園といえば?無料で行けるのにクオリティーが高すぎるイングリッシュガーデンをご紹介します!
港の見える丘公園_2022/05/12
港の見える丘公園は、山下公園にある薔薇園の約2倍以上の広さがありますが、無料で観覧できます!!
みなとみらい線「元町・中華街駅」より徒歩10分程度ですが、階段よりも、右側の坂を登った方がかなり楽です。坂も勾配が急なので体力がいりますが、階段を上るよりは楽だと思います。
↑駅近くの港の見える丘公園入口には長~い階段があります。ここからは入りません。
↑右側の坂を登ります。
↑坂を登ると薔薇が咲き誇る別の入り口があります。
薔薇の見ごろは、調べると5月上旬~下旬とされています。しかし、薔薇は早咲きのものが意外と多く、5月初めには咲き始めている薔薇もあります。
2022年5月12日時点で、薔薇は既に枯れているものもありましたが、ほとんどが咲いている状態となっていました。
薔薇園によくあるアーチに巻き付いた薔薇は、ちょうど12日時点で、横浜各地で見ごろを迎えていました。
特に港の見える丘公園~山下公園のコースでは、アーチもほぼ満開を迎えました。
咲いていない遅咲きの薔薇も一部ありましたが、咲くのを待っていると枯れてしまうため、例年5月の2週目が見ごろと言っても差支えはないでしょう。
港の見える丘公園にかんしては、イングリッシュガーデン様式であり、様々な薔薇が自然な状態で植えられている状態になっています。
つまり、早咲きの薔薇も遅咲きの薔薇もたくさん植わっているため、5月の1週目に行っても咲いている状態でしょう。
2022年5月12日
写真の通り、12日時点ではほぼ満開状態で、最も綺麗な状態に近いです。
例年、アーチの部分は陰になっているせいか咲くのが日当たりの良い薔薇と比べると遅めですが、12日時点ではアーチの薔薇もかなり咲いていました。
3週目には恐らく枯れ始めるので、1~2週目、つまり5月上旬~中旬に見に行くのがおススメです!
去年も山下公園の薔薇を5月10日に見に行きましたが、アーチ部分もかなり咲いていて綺麗な状態でした。
例年2~3日は見頃がズレるでしょうが、大体12日前後が見ごろではないかと思われます。
港の見える丘公園は、かなりの広さがあり、アーチ型の薔薇のも多くあります。
・イングリッシュローズの庭
・バラとカスケードの庭
・香りの庭
といった三つの種類の庭園があり、広々とした園内は人の滞在時間がそんなに長くないため、混雑はしていても平日に行けば意外と空いているかと思われます。
私は平日木曜の午後2時頃に行きましたが、比較的園内は空いており、空いているベンチも多くありました。山下公園含めベンチの数が多いため、何か買ってきてベンチで食べるのもおススメです。
2022年5月12日
山下公園_2022/05/12
港の見える丘公園から徒歩15分程度。坂を下り、海のほうに歩いていけば着くので、あまり迷わないと思います。
2022年5月12日
こちらも、かなり奇麗に咲いていました。見頃と言っても良いでしょう。
港の見える丘公園→山下公園のルートで行けば、そのまま赤レンガの方に向かうことも出来ます。
毎年この時期には、赤レンガ倉庫ではドイツビールフェスタも開催されていて賑わっているのでおススメです!!
※この日は日曜日で、ちょうどフェスタ最終日でしたが、晴れていたこともありかなり大賑わいでした♪
【2022年】横浜イングリッシュガーデンの見ごろを紹介!混雑状況や見所も!
2022/05/19(木)平日に書いた記事です。来年の参考にいかがでしょうか。
開園は10時からのため、筆者は10時5分に到着しました。
並んでるかなと思いましたが、想定以上!
券売場の行列はバラ園の前から隣と建物の廊下まで続いていました。ざっと100人以上は優に超える行列。
ただし、進みは思いのほか早いため、あまりストレスは大きくないと思います。
所要時間は25分~30分程度だったので、ディズニー〇ンドよりは全然マシでしょう。
スタッフさんに聞いたところ、その週の土日はもっと混雑するとのことでした。
平日の午前だったので恐らく混雑状況もだいぶマシな方だったかと思いますが、ちょうど名物の薔薇アーチが見頃なこともあり、かなりの大行列でした!
薔薇の見頃は公式ホームページが随時更新してくれているので、こちらでは主に混雑状況やオススメの過ごし方について書きます。
行列の回避方法
チケットを買う際、どうしても5月の2~3週目の時期はかなり並びます。
2022年のピークは、5月15日(日)!!
※園内のスタッフさんに聞いた情報です。最も見頃かつ日曜日、おそらく天候の影響もあったのでしょう。人が多い場合、狭い通路もあり傘をさしずらいため、晴れている日は特に混雑しやすいと予想されます。
ちなみに、じつは5月5日(木)、ゴールデンウィークの最終日にも行っていました。GWで混雑しそうな時期ではありますが、その時はあまり混んでいませんでしたし、薔薇も既にかなり咲いていました。そのときはメインの薔薇の大きなアーチはあまり咲いていませんでしたが、他の場所はその時すでに見頃の場所もあり、寧ろ今回行った際は、その時綺麗だったバラが萎れてきていました(笑)
個人的には、メインのアーチが見たければ5月15日前後に行くべきですが、他のゾーンは枯れてきているところもあるので、数回に分けていくのをお勧めしたいです。
①年間パスポートを買う
年間パスポートは5千円です!!
薔薇の時期は800~1200円と高額のため、何度も足を運びたい場合は年パスを買って、チケット売り場の混雑を避けるのをオススメします。
また、年パスを買うと、併設のカフェ(ちょっと高級なシーズンズカフェの方)が10%OFF!
また薔薇や紫陽花関連のグッズを販売するショップ&カフェ(YEG Original SHOP&CAFE)も5%OFFになります!
さらに、2022年5月28日時点で、筆者は初めて年パスを買いましたが、なんと来年5月まで有効の入園無料券1枚も、おまけでもらうことができました!
そして、5月の薔薇が旬の時期は、『早朝プレミアム開園』というイベントにて、通常の開園時間より前に入園できるのですが、年パスさえあれば、差額の500円を払うだけで入場できます!
※通常はかなり高額料金です。詳細はホームページをご確認ください。
ほかにもイベントがありますが、差額を払うのはイベントによるので、おそらくこの早朝イベントだけではないかと思われます。
駐車場割引やカレンダープレゼント等、お得な特典が盛りだくさんなので、大変おすすめします。
とはいえ、薔薇の時期以外は500~800円。
5月下旬以降は紫陽花も咲きますし、時期により桜やクリスマスローズ等も咲きます。5回以上行けば元が取れるので、近くに住んでいる方は買ってしまった方がお得かつ早く入園可能です。
②できれば平日に行く
冒頭に書いた通り、私が行った日は快晴の木曜日かつちょうど開園時間の5分後でしたが、すでにかなりの長蛇の列でした。
とはいえ、平日だったため待ち時間は25~30分程度。
私は午前に有給を取っていきましたが、その日は快晴でした。おそらく天候にもよるので晴れていなければもう少し空いていたかもしれません。
また、見頃の5月15日前後の週は混雑するので、あえて5月の1週目に行くのもおすすめです。GWの時期でもそれほど混んでいませんし、特にカフェは2千円近い値段で高額のため、空いていました。
園内のトイレやカフェについて
トイレの利用について
じつは、イングリッシュガーデン内にはトイレがありません。
ただトイレが全くないわけではなく、併設されたカフェの隣にトイレがあります!!
トイレは、個室で3室程度しかないので注意が必要。かなり混雑します。
最寄り駅のトイレも1室しかないためトイレがなくて困る可能性は高いです。時間に余裕を持って行きましょう。
ベンチの有無
園内にはかなりたくさんベンチがあります。ベンチの数が多いため、探せば混雑していてもどこかしらが空いています。
しかし人も多く日差しが降り注ぐベンチが多いです。日傘必須ですが、狭い小道は指しながら歩くことができないので、注意が必要です。
お土産屋
バラ関連多数。バラの植木も売ってます。
園内に売られているクリアファイルは値段も安価で、薔薇のアーチの写真のものもあるので、思い出として買うのに良いでしょう。
また、オシャレなローズの香りのティーバッグも単品で一つだけ買うことができ、オシャレな入れ物に入っていて人にお土産としてあげるのにピッタリです。
併設カフェは2店舗
カフェは2店ありますが、一つは高級なカフェで、ランチメニューしかありません。価格も約2千円と高額ですが、ゆっくり座りながら薔薇を眺められます。個人的には、ランチタイムは混みやすいため、ランチは別の所で済ますことをオススメしたいです!
私が5月のGWに行った際は空いていましたが、平日にもかかわらず、19日(木)はかなり並んでいました!!
もう一つのカフェは隣接されています。安価でサンドイッチやソフトクリームを売っているため、立ち食いでも良ければここで食べるのも有りでしょう。
店内に席はないため、外にテーブルと椅子が置いてありますが、数が少ないので外で立ち食いになる可能性もあります。
さらに、園内は飲食禁止のため、カフェで買ったものを持ち込むことも出来ません。
※ただ、ソフトクリームは薔薇の味もあるため、オシャレで可愛くて、味も甘酸っぱくて美味しいのでオススメです!!
写真ギャラリー
2022/05/19(木)平日
※写真は商用利用不可です。無断転載はしないでください。
上野の『東京国立博物館からの脱出』をプレイしてみてわかった博物館の楽しさ
※2022年6月22日に行ったときの話です。
上野の東京国立博物館で、探偵になりきって謎を解くゲームがあるのをご存知だろうか?
参加してみて、初めて創立150年の歴史がある建物であること知った私は、SNS上の知り合いと共に足を踏み入れた。
12時半から入場していたが、広い館内を歩き回って謎を解いているうちに、すべての謎を解き終わらないまま、閉館時間の17時前になってしまった。
平日に行ったおかげで空いていたが、土日はかなり混むので絶対に平日に行くことをお勧めする。
※椅子に座って解かないと解けない謎もあるので、恐らく土日は座るのも一苦労だ。
多くの美術品を一つ一つ眺めながら歩いていると、正直館内全てを巡るには全くもって時間が足りない。たった半日では、縄文時代から現代までの美術品をすべて観て回るにはあまりにも時間が足りず、無謀だったと言わざるを得なかった。
ただ日本史専攻だったにもかかわらず、ほぼ日本史のすべてを忘れてしまった私は、純粋に美術品を観るために博物館に足を運ぼうという気にはなれなかった。
縄文時代からの時代の流れさえも曖昧で、世界史専攻の知り合いに聞かれた初歩中の初歩の質問にも答えられない。
当時だったら頭に入っていたであろう時代の流れや権力者の動向、有名な美術品や骨とう品が、頭からすべて抜け落ちている。
日本史では有名な『狩野』派や『歌川広重』、『高橋由一』の名前がかろうじて頭にあるくらいだ。
なんのために私は日本史を学んでいたのかと聞かれれば、『受験』のためという、つまらない答えしか返せない。少なくとも、そういう返ししか許されないだろうと思うくらい、私の頭には日本史がなくなってしまった。
おそらく、日本が大好きな外国人の方が詳しいだろうと思うくらいだ。
なぜだろうか。
当時は日本史の勉強が嫌いではなくて、必死にNHKの日本史に関する番組を見たり、資料集を開いて美術品の名前と作者名を覚えたりしてたのに、今ではほとんど覚えていない。
語呂合わせで覚えていた日本史年表も、今では1467年の応仁の乱ぐらいしか覚えていないが、だれが何のために起こした戦かさえも、調べなければ思い出せない。
英語や国語は、少なくとも日本史ほど酷いレベルで忘れてはいない。私は日本史が好きだと思っていたけれど、そう思い込もうとしていただけに過ぎないのだろう。
そういう教養がないことは、文章に現れるようにも思う。博物館で美術品を眺めるときも、知識があるかないかでは、抱く感想も気づきも、全く違うものになっただろう。
学校の授業は何のために勉強するのか分からない、とはよく言われるが、そういう知識や教養があった方が、より芸術や娯楽作品を楽しめるのではないかと思う。
知らなければ、その絵画が何を表すのか、その映画の登場人物のセリフがどういう意味なのか、色々なことを汲み取れなくなってしまう。
最近は調べればなんでもわかるようになったが、その調べた先にある情報もどこかの誰かが書いている。そういう情報が間違っているかどうかも、自分の中に知識・教養があるかないかで変わってくる。
謎解きゲームの中で、『文字を開いて~』という指示があったが、『開く』という表現が分からず首を傾げた。ただ、調べてみると、『開く』には『解明する』という意味もあった。
私はただ、問題の作成者が分かりづらい表現をしていることに対して苛立ちを覚えてしまったが、たんに私の教養が足りなかっただけに過ぎない。
言葉には色々な意味があるということを、改めて考えさせられた半日だった。
上野の東京国立博物館には、他にも沢山の展示があったが、すべてを見ることは叶わなかった。是非ともリベンジしたいと思えるくらい、素晴らしい博物館である。
建物の趣も、美術品の展示のすばらしさも。
私より『不真面目』な人間はいないので、読者に安心してもらうためのエッセイを書いてみた。
私が不真面目なのは、どうしてだろう。
時折、思うことがある。私は誰よりも不真面目だ。なぜ会う人会う人が、私を総じて『真面目』と評価するのか、理解に苦しんでいる。
彼らは『真面目』という言葉の意味を考えたことがあるだろうか。さして深く考えたことはないだろう。それなのに、皆私をさして真面目という。
だから私は、真面目とは何かについて、考えてみようと思う。
1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」
上記の意味は、goo辞書から引用した『真面目』の意味である。これだけみると、真面目という言葉は、素晴らしい言葉のように思える。けれど私は、真面目という言葉をあまり良い意味で言われたことがないのである。
直接面と向かって、人が私に言う「真面目」という言葉は、大抵「不器用」「堅物」「ノリが悪い」「絡みずらい」「頑固」「変なこだわりがある」といった意味が込められていたように思う。
特に「ノリが悪い」「絡みずらい」に関しては、本当にその通りだと思う。誰かが冗談を言っても私は碌な反応ができず愛想笑いもできないので、「この子には冗談が通じない」と思われる。
いつも、正しい正解を教えてほしいのに、正解を誰も教えてくれないのだ。
無理に笑おうとしても顔が引きつるし、
「ほら、○○さん困ってるじゃん(笑)」
なんて言われたことが多々ある。
このセリフを聞くたびに、私は困っているんじゃなくて、どう反応すればよいかわからなくて固まっているだけだと脳内で叫んでいるが、誰も理解してくれない虚しさがあった。
現に、困っているわけではあるが、私は誰かに冗談を言われたらサラッと対応できるスマートな人間に憧れていたし、誰かと普通に冗談を言い合える仲になりたいと昔から思っていた。
けれどそれを諦めたのは、いつからだったろうか。
私は、ともかくイベントごとが苦手なのだ。体育祭、文化祭、修学旅行、合宿、合唱コンクールなどなど。
学生時代はイベントごとが近づくたびに憂鬱になり、そういうものを楽しめる人に憧れていた。ただ、友達作りさえ上手にできなかったあの頃の私に、一緒に楽しめる誰かがいないと成り立たないイベントを、楽しめというほうが無理だったのかもしれない。
あまりに会話がうまくできず、三人以上集まると途端に黙りこくっていた中学時代。
部活が辛くて部活仲間のノリも理解できなくて固まっていた高校時代。
サークルの合宿が年四回もあるのが辛すぎて練習も行きたくなくなり一年で辞めた大学時代。
つまり、私には碌に青春を謳歌した試しがなかったこともあり、寧ろ私が「真面目」と言われ続けていることですら、コンプレックスの一部となっているのだ。
ここで、現在の私の状況を振り返ってみると、いかに私が不真面目かがわかると思う。
現無職。会社が嫌になりコロナ禍のなか3月末に辞めて以来、無職生活を約二か月謳歌し、その間資格勉強をしつつ家事手伝いをして日々を過ごす。
家族は誰も咎めないし、「コロナなんだからもう少しゆっくりすれば?」ぐらいに言われていた。
しかし、転職活動を始めてみると、思った以上に仕事がなく、ブランクについてもエージェントより不利になると指摘を受けて落ち込む。
二か月ほどコロナ自粛生活をしていた能天気な自分を若干恨みつつも、現在転職活動に勤しんでいる最中である。
ちなみに、私は落ち込みはしたものの、過去は変えられないし、現在は二か月も休めてラッキーだったなと思っている。あまり反省はしていない。
第一、日本企業に所属して二か月も休めることなんてないわけで、病気にでもならない限り休職もできない。
私はこの空白の二か月のせいで碌な求人にありつけないにしても、我が家には発達障害の兄弟もいるし、あまりできないことに関して咎める人はいないのだ。
できないなら仕方がない、というスタンスであるし、怖い親も兄弟も親戚もいない。
私が無職になることにためらいがなかったのは、そういう実家に守られていたからで、現に数年無職の兄弟もいるのだから、私がちょっとくらい休んでも別にいいや精神なのだ。
ちなみに、私は
「私も発達障害かもしれないよ」
と言っても、誰も取り合ってくれないし、私まで障害があったら母の心労も増えるだろうと思うから、多分私は精神科には行かないだろうと思う。
私自身も、多分違うだろうとは思いつつも、少なくともHSPである可能性は非常に高い。
他人よりも繊細な気質なのがHSPの特徴らしいが、HSPは生まれ持った気質であり病気ではないので、治療の方法はないようである。
こちらのhana(ヨシザワ ハナ)様のnoteが大変分かりやすかったので、引用させていただく。
こちらに、HSP診断チェックシートというものがあった。私は残念ながらほとんどすべて当てはまったし、寧ろこれは日本人の特徴をあげたシートではないのか?と疑うレベルだったので、私にとってはほぼすべて当てはまるのは当然のことと思えるくらいだ。
できれば読者の皆さんにもやってほしいくらいだし、すべて当てはまるのが当たり前でないことに私は驚いている。
じつは五人に一人はHSPと言われているらしいが、私はほぼ全員HSPではないかと疑ってしまう。日本人は神経質だったりマメだったりする人が多い気がするし、元来、全員真面目気質ではないのかと思うからだ。
現に、「過労死」という言葉は日本で生まれている。
他国でこれほど仕事に苦しみながら自分の首を絞め続けている国は他にあるのだろうか?と思う。twitterでは仕事に対する愚痴を見かけないことはないし、皆嫌々仕事をしているのに、自分を叱咤して続けている。
それが偉いという風潮は、不真面目な私には、なんとも生きづらくて仕方がない。
三年以内離職率が約三割ときいても、寧ろ七割の人が続けられることに驚いているのだから。
新卒の頃も、私は三年以上仕事を続けられるかどうか懸念していたが、やはり無理だったので、私の勘は当たっていた。
ここまで書けば、もう私を『真面目』と思う人はいないだろう。
寧ろ軽蔑されたかもしれない。
でも、それでもいいのだ。私は実家に頼らず生計を立てるつもりではあるし、非正規でも派遣は時給が結構高いので全然ありだと思っている。
年金は払えと言われているので仕方なく払っているものの、この世にいないかもしれないのに、払う意味ってあるのだろうかと思ってしまう今日この頃である←
※私は基本、健康診断とかは別にいらないと思っているし、むしろ病気になったらやっとお迎えが来たかと思うし、認知症になったら迷惑かけるだろうから死を選びそうな人間なので、クズと言われても仕方がないのだ。
では、ありがとうございました。こんなダメ人間ですが、こいつよりマシだと思って生きてもらうために日々書いています。
涙はこころの処方箋
大人になって、涙を流す機会が増えたように思う。
社会の厳しさを知って辛くなったのか悲しくなったのか、寧ろ学生時代よりも弱くなってしまったような気がする。
twitterでバズっていたツイートだが、皆「逃げたい」という気持ちがあるのだろう。けれど、少しくらい辛くても逃げてはいけない、
折角『良い』会社に入ったのだから、
正社員になれたのだから、
辞めても次がないのだから。
そうやって、仕事=お金のなくなる恐怖におびえて、日々暮らしている。
私が好きな本に、
「……そうだったのか。君は50ドルをもらうために働いていたのか。
私は、10年前も今も、この鉄道会社のために、そして、世の中の人に快適な
旅をしてもらうために働いているんだ」
▶「あなたの人生が変わる奇跡の授業」(比田井和孝・美恵)
というセリフがある。
これは社長になった男が、元作業員の仲間に「10年前は一緒に、50ドルの日給をもらうために働いていたのにね。きみも変わったね」といわれ、返した言葉である。
元々10年前は日給50ドルで働く作業員だったが、片や社長、片や作業員のまま。
心の持ちようで、それだけ差が開いてしまったという話で、私は何となく、お金のために働くことの虚しさのようなものを感じた。
50ドルのために働いていたら、本当に50ドルしかもらえない人生になってしまうのだ。
耳が痛い話だと思ったが、なかなか、痛烈に、お金のためではなくて、世のため人のために働く方が、少なくとも気持ちは惨めにならないような気がした。50ドルのために働いていたら、50ドルの仕事しかしないのだ。
「仕事=お金のなくなる恐怖におびえて、日々暮らしている。」
今の社会は、たぶんこうなのだ。全員が全員こうではないが、世のため人のために働くなんて堂々と言える人は、きっとあまりいないだろう。
だから、何だか殺伐としていて、通勤電車にも負のオーラが漂っているのではないかとさえ思う。
肩が触れただけで苛立つような、そんな恐ろしい『何か』があるように思う。
最近、私は無職なので通勤電車に乗っていないが、満員電車の息苦しさは、生命力とか胆力とか、そういうものを根こそぎ奪っていくような感覚がある。
慣れてしまえば、心を閉じるのは簡単かもしれない。
ただ、もし皆がお金のためではなく、自分の仕事で助かる『誰か』のことを思い、誇りを持って働ければ、もう少しだけ、社会は明るくなるような気がした。
私もきっと、嫌いな会社のためではなくて、それを使う『誰か』や社会のためだと思って働ければ、もう少し、明るい気持ちで働けたかもしれない、
と思う。
**********
ところで、言葉について、私はとある発見をした。
言葉というのは、殺傷力があるものだ。
一言で傷つきもすれば、嬉しくもなる。私はつい最近、とある言葉に傷ついた。
「だからなに?」
たった五文字。ただたった五文字の言葉で、私の涙腺が歪んだ。言葉は凶器だ。殴らずとも人を殴れる。しかも殴る側は痛くもかゆくもないし、傷つけたことにも気づかない。
言い方もそうだ。低い声で面倒くさそうに言う。それだけで、思っていたような反応とは真逆の反応をもらった私の心は揺らぎ、過去に言われたあんなことやこんなことまで、思い出す。
相手が誰であろうと、この五文字は、そこその殺傷力がある。
これを読んだ皆さんは、言葉の殺傷力について、今しがた考えてもらいたいと、切に願う。
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お読みいただき、ありがとうございました。
敬語だったり「だで・ある調」だったりしますが、どちらも好きなので、気分によって変わる人です。
発達障害の兄弟と私
私には、自閉症の兄弟がいる。
私とは性別が違う。彼はもう何年か引きこもっている。外へ出る時は、図書館に行くかアニメのイベントのときくらいである。
私は、彼と私は似ていると思っていた。
学生時代浮いていた私は、彼と私を結びつけられるのが嫌だった。それは彼も同じだった。
なぜか、公言していなくとも、一緒の学校に通うとバレるものだった。同じ学校に通う期間は一年だけだったが、それでも、私が彼に迷惑をかけているような気分で、彼と自分を結びつけられるのが、何となく嫌だった。
「ねえ、きみ、〇〇くんの妹でしょう?」
中学の頃、部活の先輩に言われたセリフを、今も覚えている。綺麗な人だった。いつも笑顔で、スクールカースト上位にみえて、話しかけるのもおこがましいような気がしていた。
当時の私は、学校が嫌いだった。小中高と、勉強を一生懸命するということを自負にして通っていたように思う。いや、真面目であることが私の矜持だった。だから学校をサボるということは、一度もしなかったと思う。一度くらいはあったかもしれないが、私は嫌なことは忘れる主義だから、学生時代の記憶は薄いのだ。
どんなに嫌な授業でも、授業には出ていた。授業が嫌だから逃げたら、ずっと逃げないといけない人生になる気がしていた。音楽の発表とか、議論とか、体育とか、人前に出たり競ったり力を合わせたりするのが、どうにも嫌だった。
けれど学校は、今思えば、うまく馴染めば楽だったように思う。今なら学校と言う場所があんなに怖くはない。
勉強さえすれば、一応許されるし、友達は選べる。必要以上に関わらなければ、標的にされることもない。
私がそう思えるようになったのは、傷つきながら無駄に力んで頑張っていた過去の自分がいるからだ。辛かった部活も、自分が抜けたら迷惑をかけることがわかっていたから続けられたのだ。部活があるから、当時あまり好きでない仲間とも、綱渡りするように関わっていた。今どうしてるかなんて、知らない。
社会は、学校よりも難しい。
そんな社会で、私よりも人と関わることが難しい彼が、働いていくのは難しい話だった。
就職活動のときに、彼が障がいだと知っていたら、常人と比べられて傷つく前に障がい者雇用で共に探せたかもしれない。
彼は普通に話せるし勉強もできた。けれど、あまり人と関わろうとしなかった。家族と一緒にいる時も、あまり自分のことを話さなかった気がするが、就職活動を辞めてから、更におかしくなったような気がする。
軽率に、「いい加減仕事したら?」とか、「障がい者雇用ならもっと良いところ行けるよ」とか、そういう無責任なことを言えば、きっと怒るだろうし、更に心を閉ざすかもしれない。
彼が自分から話しかけるのは、私か母だ。父や他の男兄弟のことは嫌っている。
なぜかは、わかる。
彼らはまるでわかっていない。何となく人をイライラささるような言動をしているし、私自身もイライラしている。
それに気づいていないことが、一番の問題なのだ。彼はよく彼らに対してキレていたし、私は何が彼をキレさせたのかもすぐにわかった。
人を気づかぬうちに煽っている。おどけたような話し方を、ユーモアと履き違えている。相手が触れられたくない部分に触れていることに気がつかない。そういう言動をしたときは、あまりイライラを隠しもせずに言い返してはいるが、無駄に思えたら何も言わないし沈黙で表す。
人を変えるのは難しいし、気づかせるのも骨が折れる。往々にして、そういう人間のほうが稼いでいるし、実際そうなっている。繊細であればあるほど、働くことに向かないようだ。
自閉症の彼は、気を遣わないと難しい。彼自身も、話をする時に気遣っている気配がある。だから私は、ここで間違えてはならないと思っている。
急いてはことを仕損じるってやつだ。
ずっとこのままではいられないことは、きっと彼も気づいている。
いつもアニメやゲームばかりの彼が変わるきっかけは何だろうと、見守りながら糸口を探すしかないのだ。
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自閉症と書きましたが、現在は「自閉スペクトラム症」と呼ばれているみたいです。自閉症の兄弟と書いたのは、あまり詳しく書きたくなかったからです。
身バレ防止のために詳しくはかけませんが、彼に変わってほしいという気持ちがあるので、行動してはいます。
もう少し、人と関わる方向に向けばよいと思いますが、あまり人と接しない仕事の方が向いているだろうと思います。
※詳しいことは、身バレすると困るのでnoteの有料記事でこっそり書こうかと思います。父や他の兄弟のこと嫌っていそうな書き方してますが嫌いではないです。
それでは、ありがとうございました。