『無職ソラリスの日常』※移行したためゼロからスタート

宇宙一のダメ人間を見て安心してもらうための日記。

上野の『東京国立博物館からの脱出』をプレイしてみてわかった博物館の楽しさ

※2022年6月22日に行ったときの話です。

 

上野の東京国立博物館で、探偵になりきって謎を解くゲームがあるのをご存知だろうか?

 

参加してみて、初めて創立150年の歴史がある建物であること知った私は、SNS上の知り合いと共に足を踏み入れた。

12時半から入場していたが、広い館内を歩き回って謎を解いているうちに、すべての謎を解き終わらないまま、閉館時間の17時前になってしまった。

平日に行ったおかげで空いていたが、土日はかなり混むので絶対に平日に行くことをお勧めする。
※椅子に座って解かないと解けない謎もあるので、恐らく土日は座るのも一苦労だ。

 

多くの美術品を一つ一つ眺めながら歩いていると、正直館内全てを巡るには全くもって時間が足りない。たった半日では、縄文時代から現代までの美術品をすべて観て回るにはあまりにも時間が足りず、無謀だったと言わざるを得なかった。

 

ただ日本史専攻だったにもかかわらず、ほぼ日本史のすべてを忘れてしまった私は、純粋に美術品を観るために博物館に足を運ぼうという気にはなれなかった。

縄文時代からの時代の流れさえも曖昧で、世界史専攻の知り合いに聞かれた初歩中の初歩の質問にも答えられない。
当時だったら頭に入っていたであろう時代の流れや権力者の動向、有名な美術品や骨とう品が、頭からすべて抜け落ちている。

日本史では有名な『狩野』派や『歌川広重』、『高橋由一』の名前がかろうじて頭にあるくらいだ。

歌川広重
歌川広重の浮世絵

なんのために私は日本史を学んでいたのかと聞かれれば、『受験』のためという、つまらない答えしか返せない。少なくとも、そういう返ししか許されないだろうと思うくらい、私の頭には日本史がなくなってしまった。
おそらく、日本が大好きな外国人の方が詳しいだろうと思うくらいだ。

なぜだろうか。

当時は日本史の勉強が嫌いではなくて、必死にNHKの日本史に関する番組を見たり、資料集を開いて美術品の名前と作者名を覚えたりしてたのに、今ではほとんど覚えていない。

語呂合わせで覚えていた日本史年表も、今では1467年の応仁の乱ぐらいしか覚えていないが、だれが何のために起こした戦かさえも、調べなければ思い出せない。

 

英語や国語は、少なくとも日本史ほど酷いレベルで忘れてはいない。私は日本史が好きだと思っていたけれど、そう思い込もうとしていただけに過ぎないのだろう。

そういう教養がないことは、文章に現れるようにも思う。博物館で美術品を眺めるときも、知識があるかないかでは、抱く感想も気づきも、全く違うものになっただろう。

学校の授業は何のために勉強するのか分からない、とはよく言われるが、そういう知識や教養があった方が、より芸術や娯楽作品を楽しめるのではないかと思う。
知らなければ、その絵画が何を表すのか、その映画の登場人物のセリフがどういう意味なのか、色々なことを汲み取れなくなってしまう。

 

最近は調べればなんでもわかるようになったが、その調べた先にある情報もどこかの誰かが書いている。そういう情報が間違っているかどうかも、自分の中に知識・教養があるかないかで変わってくる。

 

謎解きゲームの中で、『文字を開いて~』という指示があったが、『開く』という表現が分からず首を傾げた。ただ、調べてみると、『開く』には『解明する』という意味もあった。


私はただ、問題の作成者が分かりづらい表現をしていることに対して苛立ちを覚えてしまったが、たんに私の教養が足りなかっただけに過ぎない。

言葉には色々な意味があるということを、改めて考えさせられた半日だった。

上野の東京国立博物館には、他にも沢山の展示があったが、すべてを見ることは叶わなかった。是非ともリベンジしたいと思えるくらい、素晴らしい博物館である。

建物の趣も、美術品の展示のすばらしさも。

埴輪

陶器